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久成寺は、もと身延山久遠寺末(日蓮宗) 。 1520年(永正17年)、足利十一代将軍義澄に仕えた梅田尾張守秀長が宅地を寄進して創建した。 徳川家康が小田原攻めの際に立ち寄って祈祷を頼み、恩賞として三石を与えたといわれ、鷹狩りの折には「葵の紋」入りの弁当箱を授けられたという。 寺には、「鎌倉郡玉縄郷ノ内三石のこと」と書かれた徳川五代将軍綱吉の朱印状が残されている。 境内には、三代将軍源実朝を暗殺した公暁を討ったとされる長尾定景一族の墓がある。 定景は長尾景虎(上杉謙信)の祖先にあたるのだという。 |
開山 | 日舜 |
開基 | 梅田尾張守秀長 |
本尊 | 曼荼羅本尊 |
長尾定景は、のちに越後の虎と呼ばれた上杉謙信の祖先にあたるといわれている。 謙信は、1561年(永禄4年)、鶴岡八幡宮で上杉憲政から上杉家から関東管領職を相続して上杉を名乗った。 現在、久成寺にある一族の墓は、戸塚区長尾台の陣場跡から移されたものだという。 |
松平甚之助新兵衛内室(妙秋院日種)の墓 |
1590年(天正18年)、北条氏勝が玉縄城を開城すると、徳川家康は玉縄領を松平甚右衛門正次に治めさせた。 正次は、のちに玉縄城主となる松平正綱の養父。 甚之助新兵衛は正次の子で、駿河大納言忠長に仕えていた(参考:薬王寺)。 |
※ | 松平正次一族の墓は藤沢市渡内の二伝寺にある。 |
久成寺の東から玉縄城址へと上る坂は「ふあん坂」と呼ばれている。 S字に大きく曲がった急斜面を上がる坂は、玉縄城の防御施設としての重要な働きを果たした。 「ふあん坂」を上り、玉縄城址から「七曲坂」を下りれば龍寳寺。 |
戦国時代の名城「玉縄城址」周辺を散策(okadoのブログ) |
鎌倉市植木494 0467(46)2837 大船駅西口よりバス 久成寺下車 |
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