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鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に登場する「大倉稲荷」のことではないかといわれている。 『吾妻鏡』の弘長元年5月1日の条に、 「幕府は、大倉稲荷に会合している者を捕らえようとしたが、悉く逃げてしまった」 と記述されおり、翌月には 「三浦義村の子良賢が謀反によって捕らえられた」 と記述されている。 ここから考えられるのは、大倉稲荷で会合していたのは、幕府転覆を狙う三浦氏の残党であったとも考えられる。 この『吾妻鏡』に記述されている「大倉稲荷」が、現在の「大蔵稲荷」の可能性があるといわれているが定かではない。 |
了行法師の謀反(将軍藤原頼嗣の追放) |
三浦氏は、代々源氏に仕え、特に三浦義明は源頼朝の挙兵に参加した人物。 以後、義澄・義村・泰村と幕府に仕えたが、5代執権北条時頼によって泰村一族は滅ぼされた(宝治合戦:1247年(宝治元年))。 |
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