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宇治にある末多武利神社(みたふり)は、藤原忠文の怨霊を鎮魂する祠。 忠文は、940年(天慶3年)、平将門の乱を鎮圧するため、征東大将軍として東国へ下った。 しかし、将門は、忠文が到着する前に藤原秀郷・平貞盛に討たれてしまったことから、大納言・藤原実頼は忠文に恩賞を与えなかった。 忠文は、そのことを深く恨んでいたという。 947年(天暦元年)6月26日、忠文が没すると、実頼の娘述子と長男敦敏が相次いで亡くなっている。 これが忠文の怨霊に祟られたのだという噂がたち、その霊を慰めるために建てられたのが末多武利神社だという。 |
宇治市宇治又振47 京阪宇治線「宇治駅」から徒歩5分 |
平将門の乱が起こると、神護寺の弘法大師作といわれた不動明王が下総国へ運ばれ、将門調伏の祈祷が行われたという。 |
成田山新勝寺は、平将門調伏の護摩焚きが行われたことに始まるという寺院。 |
東寺の毘沙門堂に安置されている国宝の兜跋毘沙門天像は、平将門の乱の際に、守護神として羅城門に安置されたものと伝えられる。 |
忠文に恩賞を与えなかった藤原実頼は、当時、摂政で平将門の私君だった藤原忠平(藤原北家嫡流)の子。 宇治川の対岸にある平等院は藤原北家の栄華を極めた藤原道長の子頼通が創建した。 |
神田明神は平将門の首級が晒されたという地にある祠。 |
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