|
神田明神は、東国で反乱を起こした平将門の首級が晒されたという地にある社。 空也が将門の首を祀って供養したことに始まるといわれ、のちに「空也供養の道場」と呼ばれるようになった。 神田明神があるのは「膏薬の辻子」(こうやくのずし)。 「クウヤクヨウ」がなまって「コウヤク」という地名となったのだっという。 |
平将門命 (たいらのまさかど ) 大己貴命 (おおなむちのみこと・だいこく様) 少彦名命 (すくなひこなのみこと・えびす様) |
伝説によると、940年(天慶3年)、藤原秀郷と平貞盛に討ち取られた将門の首級は、平安京に運ばれて晒されたが、三日後、白光となって舞い上がり、故郷へ向かって飛んで行ったと伝えられている。 蛙は、将門の首級が故郷に「帰った」ということにかけられている。 |
将門塚 (東京都千代田区) |
神田明神 (東京都千代田区) |
平安京から飛び去った将門の首級が飛来したとされるのが武蔵国豊島郡芝崎村(現在の東京都千代田区大手町)の将門塚。 のちに将門は、塚の傍らに鎮座していた神田明神に祀られている。 |
毘沙門堂 (東寺) |
明王堂 (神護寺) |
東寺の兜跋毘沙門天は、将門調伏のために羅城門に安置されていたのだという。 神護寺の不動明王は、将門調伏のために下総国へ運ばれ、京都広沢の遍照寺・寛朝僧正を導師として御祈祷がなされたのだという。 |
成田山新勝寺は、朱雀天皇の密勅により東国へ遣わされた寛朝僧正が、下総国で平将門調伏のための護摩焚きを行ったことに始まるのだという。 |
京都市下京区綾小路通西洞院東入新釜座町726 京都市営地下鉄烏丸線 四条駅より徒歩6分 阪急京都本線 烏丸駅26番出口より徒歩5分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|