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上徳寺(じょうとくじ)は、1603年(慶長8年)、徳川家康が側室・阿茶局を開基とし、伝誉蘇生(でんよそせい)を招いて建立したと伝えられる浄土宗の寺院。 創建以来、たびたび火災に罹り、現在の本堂は永観堂の祖師堂を移築したもの(1753年(宝暦3年)建立)。 本尊は、家康が近江国矢橋の鞭崎八幡宮から移した快慶作という阿弥陀如来像。 |
伝承によると・・・ 木曽義仲の近江国進軍で心を悩ませていた多くの民を救うため、国主が鞭崎八幡宮に参籠。 すると、八幡神が現れて西方極楽浄土の教主である我を彫刻するよう告げたのだという。 この話を聞いた仏師快慶も八幡宮に参籠。 すると、西方の三尊が現れた。 そして、この三尊を彫刻したのだとか。 この話を聞いた家康は、中尊を乞い、上徳寺の本尊としたのだという。 |
阿茶局・雲光院〜才知に長けた徳川家康の側室〜 |
鞭崎八幡宮は源頼朝ゆかりの社。 |
世継地蔵は、高さ二メートル余りの石地蔵。 祈願すると良い世継が授かるとされ、子授け・安産・息災祈願の地蔵尊として信仰されている。 |
上徳寺のある塩竈は、紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)の邸宅・河原院があった場所と伝えられている。 |
東本願寺の飛地境内にある渉成園は、融の邸宅・河原院の一部に造営された庭園。 |
雲光院は、阿茶局の発願で建立された寺院。 阿茶局は、晩年に江戸城から駿府城へ移った家康に従い、家康の死後は江戸に戻って、1637年(寛永14年)、83歳で亡くなったのだという。 法名は雲光院殿。 |
阿茶局・雲光院〜才知に長けた徳川家康の側室〜 |
京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町556 |
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