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鞭崎八幡宮
〜源頼朝ゆかりの社〜

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鞭崎八幡宮


 鞭崎八幡宮(むちさきはちまんぐう)は、奈良時代の公卿・大中清麻呂の創建と伝えられる社。

 1190年(建久元年)、源頼朝上洛する際、神社の森を鞭で指して神の名を尋ねたことから、「鞭崎」と呼ばれるようになったのだという。

 翌年、頼朝は卜部兼勝に命じて社殿を再建したとも伝えられている。

 1603年(慶長8年)、徳川家康は、側室阿茶局のために建てた京都の上徳寺に快慶作と伝えられる阿弥陀如来立像を移している。



〜卜部氏〜

 卜部氏は占いを業としていた氏族で、頼朝が崇敬していた三嶋大社に神官として仕えていたという説がある。



〜快慶の阿弥陀如来〜

 伝承によると・・・

 木曽義仲の進軍により、心を悩ませていた多くの民を救うため、国主が八幡宮に参籠すると・・・

 八幡神が現れて西方極楽浄土の教主である我を彫刻するよう告げたのだという。

 この話を聞いた仏師快慶も八幡宮に参籠。

 すると、西方の三尊が現れた。

 そして、この三尊を彫刻すると、平和に治まったのだとか。


八幡神の本地仏は阿弥陀如来、西方極楽浄土の教主は阿弥陀如来。



京都:上徳寺
リンクボタン上徳寺
(京都)

 家康が阿弥陀如来を移した上徳寺のある塩竈は、紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルともいわれる源融の邸宅(河原院)があった場所。





鞭崎八幡宮表門


 表門は、明治の廃藩置県で廃城となった膳所城の南大手門が移築されたもので、重要文化財に指定されている。


鞭崎八幡宮表門









鞭崎八幡宮
鞭崎八幡宮

滋賀県草津市矢橋町1462



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