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源頼朝の寄進と伝わる建造物で、墨書から1194年(建久5年)の建立ということが判明している(国宝)。 年代の明らかなものとしては日本最古。 上層は円形で下層は方形の二重の塔で、最も優美な多宝塔として知られている。 本尊は快慶作の大日如来像(重要文化財)。 本尊を囲む四天柱には、金剛界の諸尊と五大尊が描かれている(重要文化財)。 |
1159年(平治元年)12月の平治の乱で平清盛に敗れた源義朝と子の義平・朝長・頼朝。 義朝一行は東国を目指して都を落ちるが、三男頼朝は一行からはぐれて行方不明になり、次男朝長も落ち延びる途中で負傷して落命、長男義平は途中で義朝と離れ東山道から東国をめざすが・・・ 義朝が尾張国野間で暗殺されたことを知った義平は、都に戻って清盛を殺害しようとして捕らえられ、六条河原で処刑されたのだという。 『平治物語』によると・・・ 1160年(永暦元年)1月18日、清盛を討とうと三条烏丸に姿を変えて隠れていたが、平家の軍勢に押し寄せられて逃亡。 石山寺のあたりに隠れるが、難波経房の家来に生け捕られて六波羅に連行されたのだという。 頼朝が石山寺に寄進した多宝塔は、義平を匿ってくれたお礼なのだとか。 源義平の最期 |
六条河原に晒された義平の首は、妻の祥寿姫(新田氏の祖新田義重の娘)が故郷に持ち帰り葬ったのだという。 |
多宝塔の北西にある二基の宝篋印塔は、源頼朝と頼朝の次女三幡の乳母を務めた亀谷禅尼の供養塔と伝えられている。 亀谷禅尼は、頼朝の側近中原親能の妻。 |
壽福寺 |
岩船地蔵堂 |
中原親能の屋敷は亀谷にあったといわれ、壽福寺は源頼朝の父義朝の亀谷館があった地。 岩船地蔵堂は三幡の墳墓堂ではないかという説がある。 |
石山寺は、聖武天皇の勅願によって良弁が開いた。 東大寺との関りが深い寺院。 日本最古といわれる国宝の多宝塔は、源頼朝の寄進と伝えられる。 |
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