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戒壇とは、戒律を授ける(授戒)ための場所で、そのための施設が戒壇院。 出家者は授戒を受けることで正式な僧として認められる。 そのため、戒壇院は比叡山中で最も重要な堂の一つとされる。 延暦寺に戒壇の勅許があったのは、伝教大師最澄の没後7日目のこと(822年(弘仁13年)6月4日没)。 その後、828年(天長5年)に初代天台座主・義真によって戒壇院が創建された。 内陣には、釈迦如来、文殊菩薩、弥勒菩薩が安置され、年に一度「授戒会」が行われる。 現在の建物は1678年(延宝6年)の再建(重文)。 |
986年(寛和2年)6月23日、花山天皇は藤原兼家・道兼父子の策謀により出家(寛和の変)。 播磨国書写山の圓教寺に入った後、延暦寺の戒壇院で受戒して法皇となった。 その後、観音霊場三十三所を巡礼したのだという。 |
元慶寺は、花山天皇が出家した寺。 |
中山寺 (宝塚市) |
石の櫃 (中山寺の石棺) |
花山法皇は、大和国長谷寺を開いた徳道が観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたという中山寺の石棺から宝印を探し出し、紀伊熊野から巡礼を始めたのだという。 |
1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男顕信は、突然、一条小川の行願寺で剃髪し、比叡山の無動寺で出家。 5月、戒壇院で受戒が行われた。 受戒には道長も参列したが、道長は騎馬で比叡山を登ったことで、法師たちから石を投げつけられてしまったのだという。 |
比叡山で投石され、重病になった藤原道長〜顕信の受戒と山王権現の祟り〜 |
比叡山山内は東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)という地域があり、そこにある堂塔の総称を延暦寺という。 |
延暦寺は天台宗の総本山。 |
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