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大通寺(萬祥山遍照心院)は、963年(応和3年)、源満仲が父経基の墓所に一宇を建立したのがはじまりという(参考:六孫王神社)。 1222年(貞応元年)、鎌倉幕府三代将軍源実朝の菩提を弔うために妻本覚尼(坊門信子・西八条禅尼)が寺とし、真空回心上人を招いて興されたのが萬祥山遍照心院大通寺。 本尊は宝冠釈迦如来像。 本尊の脇には源実朝像が安置されている。 大通寺は尼寺として栄え、実朝の母北条政子も援助したという。 『十六夜日記』の作者阿仏尼も夫為家の供養をしたといわれ、境内には阿仏尼の墓とされる「阿仏塚」がある。 |
大通寺を創建した本覚尼(坊門信子・西八条禅尼)は公卿坊門信清の娘。 1204年(元久元年)に源実朝の正室となるが、子はなく、1219年(建保7年)に源実朝が暗殺されると、鎌倉の壽福寺で出家して京に戻ったのだという。 大通寺は、現在の南区八条町付近(本覚尼の自邸)にあったが、1912年(明治45年)に東海道線の移設工事によって現在地に移転している。 |
兒水不動明王堂は、大通寺が現在地に移転する前の境内にあったのだという。 現在も移転前の地に残されている。 |
大通寺は六孫王神社の北隣にあって、六孫王神社を鎮守社としていたが、明治の神仏分離によって切り離された。 |
本覚寺は、本覚尼が遍照心院内に建立したことに始まるのだという。 |
京都市南区西九条比永城町1 JR京都駅八条口から徒歩15分 近鉄「近鉄東寺駅」下車徒歩10分 |
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