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逗子開成中学のボート遭難碑
〜鎌倉:稲村ヶ崎〜


編集:yoritomo-japan.com








ボート遭難碑


 1910年(明治43年)1月23日、七里ヶ浜沖で逗子開成中学のボートが転覆し、生徒12名が亡くなった。

 逗子開成中学は、当時の校長が海軍将官だったため、海軍軍人の子弟が多く通っていた学校だった。

 この日、少年たちは、軍艦「松島」から払い下げられたカッターで江の島までの旅に出るが、その帰路、行合橋を過ぎたあたりで転覆事故に遭ってしまう。

 ボートには12名の少年たちが乗っていた。

 その中には小学生もいた。

 遭難事故は、江の島七里ヶ浜の漁村で目撃され、いっせいに半鐘が打ち鳴らされ、漁師たちが悪天候の中、漁船を繰り出したが、海に投げ出された少年たちを発見することはできなかった。

 転覆と同時に少年たちの姿は見えなくなっていたという。



ボート遭難碑









 冬の七里ヶ浜の海は、急に悪天候となり寒冷な西風に襲われることがある。

 逗子開成中学の生徒たちは、江の島を出るときに漁師に止められたというが、当時の校風がボートを海へと漕ぎ出させた。

 遭難事故の翌日、横須賀軍港から掃海艇が派遣され、12名の遺体が発見された。

 その遺体の中には、中学生の兄が小学生の弟をしっかりと抱きかかえた姿もあったという。



七里ヶ浜



 ボート遭難碑の像の下には、円覚寺の朝比奈宗源管長による書がはめ込まれている。

 書かれている「真白き富士の嶺(七里ヶ浜の哀歌)」は、逗子開成中学の系列校「鎌倉女学校」の三角錫子教諭による作詞。

 この歌は、12名の少年達の合同葬儀で鎌倉女学校の生徒によって合唱されたという。 



ボート遭難碑



逗子開成中学のボートが遭難した日(okadoのブログ)

ボート遭難の碑(okadoのブログ)









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 稲村ヶ崎は新田義貞の龍神伝説で知られている古戦場。
 「光明寺裏山の展望」「十王岩の展望」「江ノ島稚児ヶ淵」とともに「かながわの景勝50選」に定められている。


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