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妙法寺の中興開山の日叡は、鎌倉で悲運の最期を遂げた大塔宮護良親王の子で、母は、護良親王とともに鎌倉に来た藤原保藤の娘南の方。 護良親王は、足利尊氏と対立して鎌倉の東光寺(現鎌倉宮)に幽閉され、北条高時の遺児時行の反乱(中先代の乱)が起こったときに、尊氏の弟直義によって殺された(参考:鎌倉宮 護良親王の墓)。 妙法寺の裏山山頂には、護良親王の墓が建てられている。 |
鎌倉の海 鎌倉:海の見える寺 |
1335年(建武2年)7月23日、護良親王(大塔宮)は、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害された。 親王の子を懐妊していた南の方は、のちに男児を出産する。その子が妙法寺の中興開山の日叡。 二階堂の護良親王の墓は、明治になって鎌倉宮が建立されるまで、妙法寺の管理下に置かれていたといわれている。 妙法寺では、親王の命日に当たる7月23日に「大塔宮祭」が行われている。 |
日叡の母南の方墓 |
日叡墓 |
護良親王(大塔宮)の失脚(okadoのブログ) |
妙法寺は、鎌倉で悲運の最期を遂げた護良親王の子日叡が、日蓮の旧跡に再興した寺。 裏山山頂には護良親王の墓が建てられている。 |
鎌倉市大町4−7−4 0467(22)5813 鎌倉駅東口から徒歩15分 |
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