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「万葉集研究遺蹟の碑」は、比企ヶ谷で『万葉集』の研究を始めたという仙覚の功績を顕彰した碑。 仙覚は、四代将軍藤原頼経の正室竹御所が葬られたという新釈迦堂の供僧だったのだという。 碑は竹御所の墓(新釈迦堂)の入口に建てられている。 1246年(寛元4年)、仙覚は藤原頼経の命により『万葉集』の校合を行い、1253年(建長5年)には後嵯峨上皇に奉献している。 その後も研究を続け、1266年(文永3年)に『仙覚文永三年本萬葉集』を完成させ、1269年(文永6年)には『万葉集註釈』(万葉集抄、仙覚抄)を完成させた。 |
仙覚は、比企能員の変が起こった1203年(建仁3年)に常陸国で誕生したと言われ、母は比企能員の内室なのだという伝承もある。 晩年は、先祖の地である比企郡北方麻師宇郷(現在の埼玉県小川町)に移り住み『万葉集註釈』を完成させたのだと伝えられている。 |
妙本寺は、源頼朝の御家人比企能員の邸跡に能員の末子能本が建てた寺。 この地で有力御家人比企氏が滅亡し、二代将軍源頼家の嫡子一幡が焼け死んだ(参考:比企氏の乱)。 |
鎌倉市大町1−15−1 0467(22)0777 鎌倉駅東口から徒歩8分 |
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