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芸術・文化に関する記述について、最も適当なものを1~4から選びなさい。 |
(56) | 2017年(平成 29)5月に開館した鎌倉歴史文化交流館付近にあったとされる無量寿院を菩提寺としていた御家人は何氏か。 |
1 北条氏 3 和田氏 |
2 三浦氏 4 安達氏 |
『吾妻鏡』によれば、1265年(文永2年)、無量寿院で安達義景の十三回忌供養が行われています。 |
(57) | 「鎌倉彫」が今日のように広く普及する活動を担った1人とされる人物はだれか。 |
1 久保田久次郎 3 足立源一郎 |
2 後藤俊太郎 4 野口彌太郎 |
後藤家28代目の俊太郎は、戦後の鎌倉彫の普及に努め、1979年(昭和54年)には「伝統的工芸品」の指定を受けるに至りました。 |
鎌倉彫再興碑 |
鎌倉彫会館 |
(58) | 1985 年(昭和 60)に開館した鎌倉文学館の初代館長はだれか。 |
1 川端康成 3 大佛次郎 |
2 高見順 4 永井龍男 |
鎌倉文学館は、旧加賀藩前田家十六代当主前田利為によりその別荘として建築されました。 |
(59) | 鎌倉文士について,次の説明文の内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 林不忘・谷譲次・牧逸馬という 3 つのペンネームを持ち活躍した長谷川海太郎は,材木座,笹目,巨福呂坂などを転々としながら,『丹下左膳』『新巌窟王』などの作品を発表した。 |
2 | 鎌倉に住み,1893 年に雑誌「文學界」を創刊した星野天知のもとを訪れた島崎藤村は,そのときの情景を『桜の実の熟する時』に書いている。 |
3 | 岡本かの子は,鎌倉駅前にあった旅館「平野屋」に逗留中の太宰治と出会った。かの子は,このとき会った太宰を主人公に『鶴は病みき』を書いた。 |
4 | 坂ノ下で療養生活を送っていた日夏耿之介は長谷の旅館「海月楼」で萩原朔太郎と出会い,二人は意気投合して,頻繁に行き来をしたという。 |
3の岡本かの子が「平野屋」で会ったのは芥川龍之介。 |
(60) | 鎌倉市内の寺の境内の歌碑・句碑などについて,次の説明文の内容に誤りを含むものはど れか。 |
1 | 長谷の長谷寺の境内には,評論家高山樗牛の住居跡,俳人の高浜虚子の句碑がある。 |
2 | 二階堂の瑞泉寺の境内には,吉野秀雄・山崎方代の歌碑,久保田万太郎の句碑がある。 |
3 | 浄明寺の報国寺の境内には,雑誌「白樺」同人の歌人,木下利玄の歌碑がある。 |
4 | 長谷の高徳院の境内には,「男の顔は履歴書である」と刻まれた大宅壮一の評論碑がある。 |
4の大宅壮一の評論碑があるのは瑞泉寺。 |
高山樗牛の住居跡 高浜虚子の句碑 吉野秀雄の歌碑 山崎方代の歌碑 久保田万太郎の句碑 木下利玄の歌碑 大宅壮一の評論碑 |
(61) | 鎌倉と映画について,次の説明文の内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 大船撮影所最後の作品は,山田洋次監督の「十五才――学校Ⅳ」だった。 |
2 | 円覚寺境内にある映画監督小津安二郎の墓碑銘には,「夢」の一字のみが記されている。 |
3 | 川喜多映画記念館では,浄明寺に 2015 年(平成 27)に亡くなるまで長年居住した映画女優原節子の追悼展示と同時に,「晩春」「麦秋」「東京物語」を始めとして,主な出演作品が上映された。 |
4 | 「西鶴一代女」でヴェネチア国際映画祭国際賞を,「雨月物語」で同銀獅子賞を受賞し た日本を代表する女優の一人である田中絹代は,1936 年(昭和 11)から没年まで鎌倉山に居住した。 |
円覚寺の小津安二郎の墓碑に記されているのは「無」。 |
芸術・文化について関連あることがらの組み合わせとして誤っているものを 1 ~ 4 から選びなさい。 |
(62) | 鎌倉市の景観重要建築物等とその所在地 |
1 | 湯浅物産館-雪ノ下 |
2 | 去耒庵-山ノ内 |
3 | 旅館対僊閣-長谷 |
4 | 鎌倉聖ミカエル教会聖堂-由比ガ浜 |
鎌倉聖ミカエル教会聖堂は小町。 由比ガ浜にあるのは日本基督教団鎌倉教会。 |
(63) | 画家とアトリエを構えた地 |
1 | 有島生馬-七里ヶ浜 |
2 | 棟方志功-鎌倉山 |
3 | 平山郁夫-二階堂 |
4 | 小倉遊亀-浄智寺 |
有島生馬のアトリエは稲村ヶ崎にありました。 |
芸術・文化について,次の文の〔 ① 〕,〔 ② 〕にあてはまるものの組み合わせとして最も適当なものを 1 ~ 4 から選びなさい。 |
(64) | 円覚寺の〔 ① 〕の中心をなす国宝の舎利殿は,鎌倉尼五山の 1 つである太平寺の仏殿を 16 世紀末期に,〔 ② 〕が移築したと伝えられている。 |
1 | ① 佛日庵 ② 徳川家康 |
2 | ① 正続院 ② 徳川家康 |
3 | ① 佛日庵 ② 北条氏康 |
4 | ① 正続院 ② 北条氏康 |
舎利殿は円覚寺塔頭正続院の昭堂。 当初の舎利殿は1563年(永禄6年)の火災で焼失してしまいますが、1573年(天正元年)、北条氏康によって西御門にあった尼寺太平寺の仏殿が移築されました。 |
(65) | 国宝の〔 ① 〕は,源頼朝が鶴岡八幡宮に奉納したと伝えられるもので,〔 ② 〕 から下賜されたともいわれる。 |
1 | ① 籬菊螺鈿蒔絵硯箱 ② 後白河法皇 |
2 | ① 沃懸地杏葉螺鈿平胡籙 ② 後白河法皇 |
3 | ① 籬菊螺鈿蒔絵硯箱 ② 後鳥羽上皇 |
4 | ① 沃懸地杏葉螺鈿平胡籙 ② 後鳥羽上皇 |
芸術・文化について、次の説明文の[ ]に最も適当なものを1~4から選びなさい。 |
8代執権〔 (66) 〕が,〔 (67) 〕の両軍の死者を慰霊するため,新しい寺を創建しようと寺地を探していた。なかなか適地が見つからないでいると,〔 (68) 〕の神霊が〔 (69) 〕に姿を変えて北鎌倉の地に導いてくれた。この〔 (69) 〕が舞い降りた場所は下の境内図の 〔 (70) 〕といわれている。 |
(66) | |
1 北条泰時 3 北条時宗 |
2 北条時頼 4 北条貞時 |
(67) | |
1 宝治合戦 3 和田合戦 |
2 元寇 4 承久の乱 |
(68) | |
1 甘縄神明神社 3 龍口明神社 |
2 荏柄天神社 4 鶴岡八幡宮 |
(69) | |
1 白鷺 3 白兎 |
2 白鹿 4 白猿 |
(70) | |
1 A 3 C |
2 B 4 D |
(66) 3 (67) 2 (68) 4 (69) 1 (70) 4 |
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