|
仁王門へと上がる階段下辺りは「いしば」と呼ばれている。 源頼朝が日向薬師に参詣の折に、旅装から白装束に着替えたところで「衣裳場」と呼ばれていたが、「いしょうば」が訛って「いしば」となったという。 頼朝は1194年(建久5年)8月8日、日陰道(日向薬師参道)を通り、熊野権現・白髯明神の間道からここに到着したと伝えられている。 |
1194年(建久5年)、源頼朝は長女大姫の病気治癒祈願のため、霊山寺(日向薬師)を参詣し「大太鼓」を納めたといわれている。 この年の7月29日、大姫が危篤状態に陥った。 八方手を尽くしてもその効果が表れなかったことから、8月8日明け方、相模国で知られた日向薬師を参詣したのだと伝えられている。 |
源頼朝の日向参詣〜大姫の病気治癒祈願〜 |
1184年(元暦元年)4月、大姫は頼朝に婚約者だった木曽義高を殺されたことで病気となり、生涯治ることはなかったのだという。 岩船地蔵堂の石造地蔵尊(岩船地蔵)は、大姫の守本尊と伝えられている。 |
清水八幡宮 (狭山市) |
木曽塚 (鎌倉・常楽寺) |
木曽義高は木曽義仲の嫡男。 1184年(元暦元年)、義仲を追討した頼朝は、鎌倉に人質として預けられていた義高も誅殺。 清水八幡宮は、義高終焉の地に建てられた義高を祀る社。 鎌倉の常楽寺の裏山には、義高の首が葬られているのだという。 |
日向薬師は、716年(霊亀2年)に行基によって開かれた霊山寺をはじまりとする。 鎌倉時代には源頼朝も参詣した。 |
伊勢原市日向1644 0463−95−1416 小田急線「伊勢原駅」より『バス』日向薬師行き終点下車すぐに参道あり |
源頼朝ゆかりの大山寺・日向薬師・飯山観音を巡る |
|