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洗足池の畔にある「勝海舟夫妻の墓」。 勝海舟は、1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府の代表として、官軍の代表の西郷隆盛と会談した。 場所は池上本門寺。 この会談の結果「江戸城の無血開城」が実現し、当時の江戸の街は戦火から救われた。 会談の帰り道に洗足池の茶屋で休息したことが縁となり、池の畔に別邸の「洗足軒」を設けた 1899年(明治32年)に亡くなり、遺言によってこの地に葬られ、のちに妻たみも合祀されている 石塔の「海舟」の文字は、徳川慶喜の揮毫と伝えられている。 |
勝海舟は、1823年(文政6年)に江戸で誕生した。 1860年(万延元年)には、咸臨丸の艦長として渡米。 福沢諭吉やジョン万次郎も乗船していた。 明治維新後は、漢詩、書を好み、高橋泥舟、山岡鉄舟とともに幕末三舟と称された。 |
「洗足軒」には、西郷隆盛も訪れ、日本の未来について語られたという。 勝海舟夫妻の墓の横には、勝海舟が西郷隆盛の菩提を弔うために建てたという「留魂祠」がある。 |
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