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平安時代の承和年間(834-848)頃、日本には白楽天(白居易)の詩文集『白氏文集』(はくしもんじゅう)が伝来。 一条天皇の時代には、貴族の間で流行。 『本朝麗藻』の具平親王の詩句によると「官僚も貢士も及第者もみな白氏文集を規範とした」のだという。 具平親王は、和歌・漢詩文に長じ、音楽・陰陽・医術にも通じ、慶滋保胤・大江匡衡・藤原公任・藤原道長などと交流。 紫式部の父・藤原為時とも交流があった。 |
『白氏文集』は貴族や学者のみならず、教養人の必読書として清少納言や紫式部も愛読し、自分の作品に活かした。 清少納言は『枕草子』で「文は、文集・・・・・」とし、「文集」(白氏文集)を漢詩文の文物のトップに位置付けている。 紫式部は『源氏物語』~須磨の巻~で、須磨へ蟄居する光源氏が荷物の中に『白氏文集』を入れさせている様子を描いている。 |
藤原行成は『白氏文集』を書写して一条天皇に献上しているのだという。 国宝「白氏詩巻」は、行成が『白氏文集』巻第六五から八篇の詩を揮毫したもの。 |
「空寒み 花にまがへて 散る雪に すこし春ある 心地こそすれ」 この歌は、藤原公任から贈られた下の句に清少納言が上の句をつけて完成させたもの。 どちらの句も白楽天の詩を踏まえて作られている。 |
清少納言の歌~藤原公任との連歌:白楽天の詩を踏まえて~ |
清少納言は、仕えていた藤原定子に白楽天の詩の一節を演出して見せている。 |
『枕草子』~雪のいと高う降りたるを・香炉峰雪簾撥看~ |
中宮・彰子に新楽府を進講する紫式部 |
漢学の学識を高くかわれていた紫式部は、白居易の新楽府(漢詩)を中宮・藤原彰子に講義。 「新楽府」は『白氏文集』の中の諷諭詩。 |
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