1192年(建久3年)3月13日、後白河法皇が崩御。 前年に源頼朝が方住寺殿を再建して間もなくの出来事でした。 後白河法皇の院御所「法住寺殿」の再建 頼朝は、3月19日に幕府で初七日の法事を行い、七々日(四十九日)毎に念仏を唱える事を決めています。 3月20日、山ノ内では、往来する旅人や農民らが浴するための蒸し風呂が行われました。 これも後白河法皇の冥福を祈るためなのだとか・・・ 4月4日、三七日の法事。 頼朝はこの日から毎日、法華経を読誦する事にしています。 4月28日、三十五日の法事。 そして5月8日、勝長寿院で後白河法皇の四十九日法要が執り行われました。 布施は、僧一人毎に、白布三反と米を一袋。 二階堂行政と中原仲業が担当しました。 集まった僧は・・・ 鶴岡八幡宮 20人 勝長寿院 13人 走湯権現(伊豆山神社) 18人 箱根権現(箱根神社) 18人 大山寺 3人 金目観音(光明寺) 3人 高麗寺(高来神社) 3人 六所神社 2人 岩殿寺 1人 杉本寺 1人 岩窟不動 1人 慈光寺 10人 浅草寺 3人 真慈悲寺(百草園) 3人 勝福寺(飯泉観音) 2人 国分寺 3人 計105名 |
後白河法皇が崩御すると、法住寺殿の一画には法華堂が建てられ御陵となりました。 |
法住寺は、後白河法皇の陵墓を守護してきた寺。 |
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