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公所浅間神社は、創建年等の詳細は不明であるが、一説には源頼朝の創建とも伝えられている神社。 大和市の鶴間という地名には、以下のような伝説が残されている。 |
木花開耶姫命 大己貴命 表筒男命 |
源頼朝が富士裾野の巻狩りの帰りに鶴間の地を通ったところ、鶴が舞うのを見て「鶴舞の里」と名づけ、それが転じて「鶴間」という地名となった。 |
壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼし、平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとした源義経だったが、頼朝の怒りにふれたため鎌倉には入ることができず、失意のうちに京へ帰ることとなった。 その途中で鶴間の地を通り、頼朝に持ってきた財宝を埋めた。 この時、義経が鶴が舞うのをみたことから、「鶴舞の里」と名付けられ、「鶴舞」が転じて「鶴間」となった。 |
鎌倉時代の大和は、渋谷重国が領していた。 重国は源頼朝の挙兵時には、大庭景親に従ったが、のちに頼朝の信任を受け所領を安堵されている。 |
義経年表 |
源義経の伝説を巡る旅 |
藤沢に残された源義経の伝説(okadoのブログ) 源義経の伝説・・・京都:鞍馬寺(okadoのブログ) |
神奈川県大和市下鶴間391 東急田園都市線つきみ野駅より徒歩12分 |
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