|
1262年(弘長2年)、鎌倉に下向してきた西大寺流律宗の叡尊が新清涼寺釈迦堂に滞在。 叡尊の鎌倉下向によって、鎌倉での西大寺流律宗の基盤が固められた。 |
極楽寺の忍性は悩める貧しい人々を救済するために、施薬院・悲田院・施益院・福田院を設け福祉事業に取り組み、「医王如来」と崇められた。 境内には、忍性が粥を施したとする「極楽寺ノ井」や「千服茶臼」、「製薬鉢」が残されている。 鎌倉七口の一つ「極楽寺切通」は忍性が開いたといわれる。 |
称名寺 (金沢区) |
多宝寺址 (扇ヶ谷) |
宗派別鎌倉の寺 鎌倉の寺院一覧 |
|