|
浜松秋葉神社(はままつあきばじんじゃ)は、1570年(元亀元年)、三河の岡崎城から浜松城に移った徳川家康が北遠の秋葉山を勧請して創建。 「信玄衆誓詞」(天正壬午甲信諸士起請文)が奉納された地。 「井伊の赤備え」発祥の地。 |
1582年(天正10年)、甲斐の武田勝頼が織田信長・徳川家康の甲州征伐で滅亡すると・・・ 家康は武田家の家臣団を受け入れ、その際に、武田家家臣団に起請文を提出させた。 それが「信玄衆誓詞」。 家康への忠誠を神仏に誓い、800人以上の武田家家臣が署名血判をして秋葉神社に奉納したのだという。 当時のものは第二次世界大戦の戦禍で失われたが、2015年(平成27年)に再奉納されている。 |
「赤備え」とは、武田信玄が率いた精鋭部隊のこと。 家康は、戦国最強といわれた武田軍団に挑み、三方ヶ原の戦いで大敗を喫している。 その「武田の赤備え」を引き継いだのが徳川四天王のひとり井伊直政。 家康に忠誠を誓った武田家家臣の多くは、井伊直政の部隊に配属されたのだという。 家康が豊臣秀吉と戦った小牧・長久手の戦いでは、直政が先鋒を命じられ、「井伊の赤備え」70名が秋葉神社に血判状を奉納。 武功をあげた「井伊の赤備え」は、その名を天下に轟かせたのだという。 |
少年期を鳳来寺で過ごした井伊直政は、徳川家康に仕えると徳川四天王の一人に数えられる武将に。 上野国高崎藩の初代藩主。 関ヶ原の戦い後、近江国の佐和山城を与えられ佐和山藩(彦根藩)の初代藩主となる。 井伊直政と鳳来寺 |
静岡県浜松市中区三組町39 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|