再婚した後家の所領返還問題と御成敗式目 |
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『吾妻鏡』によると・・・ 故佐貫時綱の養子時信が、再婚した時綱の後家藤原氏を相手に訴訟を起こした。 その内容は、 「後家藤原氏は再婚したのだから、遺産相続した所領上野国赤岩郷を時信に返還すべきだ」 というもの。 |
御成敗式目の24条には・・・ 「再婚後の後家の所領について」 が規定されている。 それは、 「後家が再婚する時には、亡夫から遺産相続した所領を亡夫の子供に返さなければならない」 というもの。 この規定からすると、 後家藤原氏は時信に所領を返還する義務がありそうだが・・・ 御成敗式目は、その前文で、 「式目制定以前の法律事象については遡及しない」 ということが規定されている(新法不遡及の原則)。 そうすると、後家藤原氏がいつ再婚したのかが問題となるが・・・ 1241年(仁治元年)6月28日、後家藤原氏が再婚したのは、御成敗式目が制定される以前の事であったため、 「所領はそのまま」 という裁決がくだった。 |
御成敗式目は、1232年(貞永元年)、三代執権北条泰時によって制定された武家の法典。 制定時期と寛喜の大飢饉の時期が重なっていることから、飢饉の影響を受けているとの説もある。 また、泰時が承久の乱後に帰依した栂尾高山寺の明恵の思想が強く影響しているとも言われる。 |
北条泰時と栂尾高山寺の明恵 御成敗式目〜北条泰時が評定衆に書かせた起請文〜 |
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