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建久年間(1190−1199)に鎌倉の笹目に創建されたという西方寺(真言宗)。 開山の勝賢僧正は、東大寺別当、醍醐寺座主を勤めた高僧。 源頼朝も帰依し、鎌倉永福寺の薬師堂供養の導師を勤めている。 山号は補陀洛山。 笹目から極楽寺山内に移転した後、明応年間(1492−1501)に新羽の地(現在地)に移転したと伝えられている。 本尊は本尊阿弥陀如来坐像(平安時代・県重文)。 鎌倉にあった頃は金箔が施され、その輝きで海の魚が捕れなくなってしまった漁師が、全身に経文を書きながら墨で塗りつぶしたのだと伝えられ、「西方寺の黒本尊」と呼ばれる。 茅葺の山門・本堂・鐘楼は江戸期の建造物で横浜市指定文化財。 大般涅槃経を注釈したものの一部という「注大般涅槃経巻第十九」は国の重要文化財に指定されている。 |
観音堂に安置されているのは、西方寺が移転してくる前から祀られていたという十一面観音像。 安産祈願の観音様として信仰されている。 |
西方寺跡 (鎌倉:極楽寺) |
極楽寺 (鎌倉) |
鎌倉の極楽寺は、1267年(文永4年)、忍性によって開かれた寺院。 西方寺跡には上杉憲方の墓と伝えられる七層塔が残されている。 西芳寺が新羽に移転した理由に、新羽が上杉家の領地だったことがあげられるという。 |
横浜市港北区新羽町2586 横浜市営地下鉄ブルーライン 「新羽駅」下車徒歩5分 |
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