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大物主神社の創建は不詳だが、海に至る河口に点在していた三角州の一つに祭場として建てられたのがはじまりと伝えられる。 1159年(平治元年)、平清盛が厳島神社を勧請。 1185年(文治元年)、兄の源頼朝と対立して都を落ちた源義経は、神社近くにあった七軒長屋に逗留したのだと伝えられている。 義経が西国への逃亡の船出をした大物浦は、この神社の目の前だった。 江戸時代までは大物社・大物若宮・若宮社・若宮弁財天・若宮八幡などと称されたが、明治の神仏分離により大物主神社となった。 |
市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命 |
1185年(文治元年)11月3日、都を落ちて、海路、西国(九州)へ逃れよとした義経だったが・・・ 11月6日、大物浦から船出するが難破してしまう。 その後、義経一行は四天王寺に宿した後、吉野山へ逃亡したのだという。 義経の愛妾静御前も一緒だった。 吉野山に逃げこむ前に、住吉大社の神主・津守長盛の許で一夜を過ごしたとも・・・。 |
義経よろい掛け松 (四天王寺) |
住吉大社 |
兵庫県尼崎市大物町2−7−6 阪神大物駅下車 南口から1〜2分 |
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