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金峯神社(きんぷじんじゃ)は、吉野山の地主神・金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀る神社。 創建は不明。 |
1007年(寛弘4年)8月11日、金峯山詣を行った藤原道長は、自ら書写した法華経などを金峯山(山上の蔵王堂)に埋納している。 翌年、娘で一条天皇の中宮・彰子が土御門殿で敦成親王(後一条天皇)を出産。 人々は「金峯山の御霊験」と噂したのだとか。 金峯神社蔵の「金銅藤原道長経筒」は国宝。 2024年(令和6年)には、金峯神社と金峯山寺が所有する道長直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」が国宝に指定された。 |
藤原道長の御嶽詣〜彰子の男児出産を願っての金峯山参詣か?〜 国宝に指定された藤原道長直筆の経巻〜吉野山:金峯神社・金峯山寺〜 金銅藤原道長経筒〜御嶽詣と弥勒信仰と道長の願文〜 |
990年(正暦元年)3月、金峯山詣を行った紫式部の夫・藤原宣孝は、その御利益があって筑前守に任官されたのだとか・・・ 清少納言の『枕草子』には、その時の様子が書かれている。 |
『枕草子』:藤原宣孝の逸話〜清少納言と紫式部〜 |
金峯山寺の僧兵の山狩りから逃れるため、源義経が身を隠したと伝えられている堂。 追手に囲まれた義経が屋根を蹴破って逃げたと伝えられていることから「蹴抜の塔」(けのけのとう)とも呼ばれる。 現在の建物は大正期に再建されたもの。 |
義経の郎党佐藤忠信は、義経を落ち延びさせるため、花矢倉から覚範をはじめとする僧兵たちに矢を浴びせて戦ったのだと伝えられている。 |
金峯山寺 |
静御前の舞塚 (勝手神社) |
吉野山で5日間を過ごした後、別れた義経と静御前。 静御前は、蔵王堂(金峯山寺)に辿り着いたところを捕えられ、勝手神社の社殿の前で舞い、荒法師たちを感嘆させたのだと伝えられている。 |
奈良県吉野郡吉野町吉野山1292 吉野大峯ケーブル自動車「吉野山駅」から徒歩2時間。 |
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