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源頼朝に仕えた御家人・熊谷直実は、1184年(寿永3年)の一ノ谷の戦いで敵将平敦盛を討ち取るが、我が子ほどの年齢の若武者の命を奪ったことに無常観を感じ、1193年(建久4年)、法然に弟子入りして出家した。 法名は法力房蓮生。 出家したときに着けていた鎧を掛けたのが、御影堂横の「よろい掛け松」だった。 また、蓮池に架かる極楽橋は、直実が出家を決意して兜を置いて弓を弦を切り、その弓を池に架けた形だという。 1207年(建永2年)9月4日、武蔵国熊谷郷で亡くなった。 ただ、一説には京都で亡くなったとされ、法然廟の前に直実の五輪塔が置かれている。 それに向かい合うように平敦盛の五輪塔も置かれている。 |
※ | 『吾妻鏡』には、熊谷直実は、1208年(承元2年)9月14日未の刻(午後2時頃)に世を去ることを発表し、その予告どおり東山の麓で「端座合掌し、高声念仏を唱え」ながら死去したと記されている。 |
熊谷直実 よろい掛け松 |
直実と極楽橋 |
烏寺(専定寺) 熊谷直実の伝説 |
法然寺 熊谷直実創建 |
粟生野は、浄土宗の開祖・法然が初めて「念仏」の教えを説いた地。 その地に、弟子の蓮生(熊谷直実)が建立した念仏三昧院が光明寺の始まり。 |
浄土宗最初の寺院といわれる金戒光明寺。 幕末には京都守護で会津藩主の松平容保が本陣を置いた。 |
京都市左京区黒谷町121 JR京都駅から市バス 東天王町下車徒歩15分 岡崎道下車徒歩10分 |
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