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烏寺の正式名称は「熊谷山専定寺」(くまがいざんせんじょうじ)」。 浄土宗禅林派の寺。 伝説によると、1207年(建永2年)9月4日、専定という旅の僧が松の木陰で休んでいると、梢にとまった二羽の烏が・・・ 「今日は熊谷蓮生房が大往生の日だ。 西方浄土へ導かれるのも念仏の功徳というものだろう」 と話して飛び去っていった。 不思議に思った専定が熊谷蓮生房の庵を訪ねると、その日に蓮生房は亡くなっていたという。 法相宗の僧だった専定は、その場所に庵を結び専修念仏の日を送るようになった。 これが専定寺の起こりで、「烏寺」(からすでら)と呼ばれる由縁だという。 本尊の阿弥陀如来坐像は後白河法皇の念持仏だったと伝えられ、金箔による像内化粧が施されているもの。 |
熊谷蓮生房(直実)は、武蔵国熊谷郷の武将で源頼朝の御家人として活躍し、一ノ谷の戦いでは、源義経の鵯越に従い、平敦盛を討った武将として知られている。 敦盛を討ったことに無常感を深くし、仏門へ入ったといわれ、法然に師事して出家した。 |
金戒光明寺 (京都) |
直実よろい掛け松 (金戒光明寺) |
直実の墓 (金戒光明寺) |
極楽橋の伝説 (金戒光明寺) |
西山浄土宗総本山の光明寺は熊谷直実が創建した念仏三昧院を前身としている寺院。 |
京都市東山区正面通本町東入 市バス「博物館三十三間堂前」下車徒歩10分 |
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