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法然寺は、1197年(建久8年)、熊谷直実が錦小路東洞院西に創建したのを始まりとする浄土宗の寺院。 本尊は、直実が法然から与えられた御影(法然自作の木像)。 山号は熊谷山。 直実は、1184年(寿永3年)の一ノ谷の戦いで敵将平敦盛を討ち取るが、我が子ほどの年齢の若武者の命を奪ったことに無常観を感じ、法然の弟子となって出家した。 出家したのは1193年(建久4年)頃のことと考えられている。 法名は法力房蓮生。 本尊は、直実が故郷の武蔵国熊谷郷に帰るときに法然より与えられたものだったが、後に京都に戻った直実は、法然寺を創建してこれを安置したのだという。 1591年(天正19年)、豊臣秀吉によって寺町仏光寺に移転させられ、1961年(昭和36年)に現在地へ移転した。 |
※ | 寺宝に後伏見天皇勅額「極楽殿」、正親町天皇勅額「熊谷山」、法然の「肉牙の舎利」、「平敦盛像」、「直実の鎧で作った灯篭」などがある。 |
法然は浄土宗の開祖。 「圓光大師」の号は、1711年(正徳元年)に賜った。 |
平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭。 |
金戒光明寺には、熊谷直実が出家するときに鎧を掛けたという「よろい掛け松」、直実が蓮池に架けた弓の形をしているという「極楽橋」などに伝説が残され、法然廟の前には直実の五輪塔が建てられている。 |
粟生野は、浄土宗の開祖・法然が初めて「念仏」の教えを説いた地。 その地に、弟子の蓮生(熊谷直実)が建立した念仏三昧院が光明寺の始まり。 |
京都市右京区嵯峨天竜寺立石町1 ・JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」より徒歩 ・京福電鉄「嵐山駅」より徒歩 |
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