|
宜陽殿(ぎようでん)は、内裏内の建物の一つ。 紫宸殿と軒廊で繋がる殿舎で、歴代天皇の御物・宝物が保管されていた。 清少納言の『枕草子』によると、当時よいものを褒めるとき「宜陽殿の一の棚に」という言い方があったのだとか。 紫式部の『源氏物語』~若菜の巻(上)~では、玉鬘が催した光源氏の四十の賀を祝う席で、兵部卿宮が宜陽殿の御物の琴を弾いている。 |
京都御所には、江戸時代に復元された宜陽殿がある。 紫宸殿の回廊に続く建物が宜陽殿。 |
旧暦の9月9日は重陽の節句。 平安時代、紫宸殿では天皇が出御して重陽の節会が行われ、人々に菊酒が下賜されていたのだという。 天皇が出御しないときは、宜陽殿で菊酒が下賜されていたらしい。 |
1008年(寛弘5年)9月9日、紫式部は藤原道長の正妻・源倫子から「菊の着せ綿」を贈られている。 この年の重陽の節会は、中宮・藤原彰子の出産が間近だったため行われなかったらしい。 |
平安宮は、平安京の宮城。 |
内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 |
大極殿跡 (朝堂院正殿) |
豊楽殿跡 (豊楽院正殿) |
平安宮(大内裏)の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。 大極殿は、朝堂院の正殿。 豊楽殿は、豊楽院の正殿。 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。 |
京都市上京区浄福寺通下立売上る東側 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|