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妙 善 寺
〜刀工正宗の伝説:藤沢〜

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妙善寺


 妙善寺は、鎌倉妙本寺末。

 もとは真言宗の真蔵院という寺であった。

 1271年(文永8年)、流罪となった日蓮が佐渡に赴く途中、真蔵院に立ち寄ったとされ、その後、住持の長藤が日蓮の弟子となり日蓮宗に改宗されたという(1280年(弘安3年)に改宗されたと伝わっている。)。

 江戸時代の本陣が近くにあった関係で、境内には本陣を務めた蒔田家の墓がある。



日蓮聖人像

 妙善寺の本尊は日蓮聖人像。

 開山の長藤日聞が、身延山に上って日蓮の像を安置したいと願ったところ、中老日法上人が一七日間勧持品という経を読んで彫刻したものと伝えられている。









〜正宗稲荷大明神〜

妙善寺正宗殿
正宗殿


 御神体は最澄(伝教大師)が802年(延暦21年)に刻んだものとされている。
 
 比叡山延暦寺に安置されていたが、四代執権北条経時の時代に鎌倉に移され、その後、この地に移されたという。

 また、鎌倉の刀工五郎入道正宗が、この御神体を守護神としていたともいう。


妙善寺正宗殿 妙善寺正宗殿



〜「正宗」の意味〜

 「正宗」という文字には二つの意味があるという。

 一つは、日蓮が佐渡に赴く途中に真蔵院に立ち寄った際に、「稲荷翁」に手を合わせ、長藤(日聞)に「正宗稲荷」と名乗るように説いたとするもの(法華経でいう「正宗」)。

 つまり「正宗」を守護する稲荷という意味。

 もう一つは、刀工五郎正宗に因むもの。



〜五郎正宗と日蓮〜

 刀工五郎正宗の師は新藤五国光といわれ、国光は日蓮の信者だったという。

 五郎も日蓮の信者となって、法華経により魂入し、刀を鍛えたといわれ、藤沢の正宗稲荷堂を参って御利益を得ていたという。

 1299年(正安元年)、正宗は後伏見院より刀剣を鍛えるよう命じられ、稲荷神に祈り宝剣を鍛えたことから、正宗稲荷と呼ばれるようになったとも伝えられている。


正宗工芸
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(鎌倉)
正宗の墓
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(鎌倉本覚寺)









妙善寺
妙善寺

藤沢市藤沢1−5−3

小田急「藤沢本町」下車 徒歩10分





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