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長寿寺の観音堂背後のやぐらにある宝篋印塔は足利尊氏のもの。 尊氏の遺髪が埋葬されたとされる場所。 尊氏は、1336年(建武3年)、「建武式目」を制定して室町幕府を開くと、1338年(延元3年)には北朝の光明天皇より征夷大将軍に任ぜられた。 1358年(延文3年/正平13年)4月30日、京都二条万里小路第で死去(享年54歳)。 関東では「長寿寺殿」が尊氏の法名(京都では「等持院殿」)。 |
※ | 本堂の足利尊氏像の胎内には尊氏の歯が納められているという。 |
「建武式目」が制定される2ヶ月ほど前の1336年(建武3年)8月27日、足利尊氏は自筆の願文を清水寺に奉納しているという。 内容は、「自分は仏の加護を賜り、今後の果報は弟の直義に与えていただきたい」といったもの。 その前年、尊氏は、後醍醐天皇の意に逆らって鎌倉に下り、中先代の乱を平定したため、一時、鎌倉の浄光明寺に蟄居したという経緯もある。 |
尊氏の願文奉納のきっかけは定かではないが、後醍醐天皇との戦いに勝利した時期の願文でもあるため注目されているという。 夢窓疎石の評によれば、尊氏には「戦場での心の強さ」、「敵をも許す慈悲の深さ」、「物を惜しむことのない度量の広さ」という3つの徳があったという。 |
京都の御所八幡宮は、足利尊氏が邸宅の鎮守として創建した社。 尊氏の法名から「等持院御所八幡宮」と呼ばれていたのだという。 |
長寿寺は建長寺の境外塔頭。 創建年は定かではないが、足利尊氏がその邸跡に創建したといわれている。 |
鎌倉市山ノ内1503 0467(22)2147 北鎌倉駅から徒歩10分 |
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