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浄光明寺の阿弥陀堂の裏には、代々鶴岡八幡宮の神主を務めた大伴家の墓塔が並べられている。 大伴家は、大伴忠国(清元)が鎌倉幕府から神主に任ぜられて以来、25代にわたって神主を務めてきたが、明治の神仏分離によって神主の職を離れた。 浄光明寺に墓所が営まれるようになったのは文明年間(1469−1486)以降。 |
中には、笏型の墓塔に鳥居の浮き彫りが施されたものもあり、神道特有の墓として貴重なもの。 |
筥崎博尹の墓 (寿福寺) |
二十五坊跡 (鶴岡八幡宮) |
1868年(慶應4年)3月、明治新政府が神仏分離令を発布すると、鶴岡八幡宮の供僧は復飾(還俗)して、神主の大伴氏に対して総神主を称するようになる。 これにより鶴岡八幡宮の供僧坊はすべて廃絶。 神仏混淆から神道のみの宗教施設となった鶴岡八幡宮には「僧尼不浄の輩入る可からず」の高札が掲げられ、復飾した供僧が進んで境内の諸堂塔、仏像什器などの仏教に関するもの一切を破棄したのだという。 筥崎博尹は千南坊(正覚院)の供僧で、神仏分離後に鶴岡八幡宮の総神主となり、1882年(明治15年)には初代の宮司に就任している。 |
浄光明寺は、1251年(建長3年)、北条長時(のちの六代執権)によって再興された真言宗の寺。 足利尊氏・直義兄弟にゆかりのある寺でもある。 |
鎌倉市扇ガ谷2−12−1 0467(22)1359 鎌倉駅西口から徒歩15分 |
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