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1908年(明治41年)、弟子の北里柴三郎と鎌倉を訪れたドイツ人細菌学者ロベルト・コッホの記念碑。 コッホは、炭疽菌・結核菌・コレラ菌の発見者。 かつて、霊山山には「霊山園」と呼ばれた公園があって、眺望の良さで知られている場所だった。 北里柴三郎は、「霊山園」にロベルト・コッホを案内し、のちに記念碑を建てた。 しかし、1923年(大正12年)に起きた関東大震災によって崖崩れが起こり、山容が変わってしまったといわれている。 記念碑は、1983年(昭和58年)、結核菌発見100年を記念し、鎌倉市医師会によってに霊山山から稲村ヶ崎に移転された。 |
コッホは2か月ほど日本に滞在。 鎌倉では、鎌倉海浜ホテルに宿泊していたのだという。 帰国後の1910年(明治43年)、バーデン=バーデンで死去。 1912年(大正元年)、霊山山に碑が建てられた。 |
北里柴三郎は、東京帝国大学医学部を卒業後、ドイツに留学してコッホに師事。 破傷風血清療法の確立、ペスト菌の発見のほか、伝染病研究所、北里研究所を創立して後進の育成にも尽力。 2024年(令和6年)7月発行の新千円札には、北里柴三郎の肖像が採用されている。 |
新一万円札の顔は、近代日本経済の父と呼ばれた渋沢栄一。 |
新五千円札の顔は、津田塾大学を創設した津田梅子。 |
稲村ヶ崎は新田義貞の龍神伝説で知られている古戦場。 「光明寺裏山の展望」、「十王岩の展望」、「江ノ島稚児ヶ淵」とともに「かながわの景勝50選」に定められている。 |
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