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『吾妻鏡』によると、源義経は平時忠の娘を側室としている(1185年(文治元年)9月2日条)。 側室の本名は不明だが、能登国の伝承では蕨姫と呼ばれている。 ※能登国は平時忠が流された地。 |
『平家物語』によると・・・ 平時忠は、源頼朝に知られてはまずい機密文書を義経に没収されていた。 そこで長男の時実に相談すると・・・ 女房たちが訴え嘆くこと好まない義経の性格を利用して、21歳の娘を義経に差し出すこととする。 少し歳はいっていたが、美人で気立てもよかったので、義経も正妻の郷御前を別の場所に移して、娘を宿に住まわせたのだという。 そして、娘が機密文書のことを義経に話すと、義経は封も解かないまま時忠に返したのだとか。 |
義経がいつ蕨姫を側室としたのかは不明。 婚姻の理由には、時忠と連携して頼朝に対抗するためという説もあるようなので、義経と頼朝の対立が決定的となった1185年(文治元年)6月以降か・・・? 11月3日、義経は都落ちすることとなるが、その後、蕨姫がどうなったのかは不明。 |
平時忠・時実父子と源義経 源義経と源行家の謀反 |
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