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源頼家の境界裁定

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 『吾妻鏡』によると・・・

 陸奥国葛岡の新熊野神社の僧が、坊領の境界について、地頭の畠山重忠に裁定を望んできた。

 しかし、重忠は、藤原秀衡の時に朝廷の安泰を祈祷していた神社であり、今は鎌倉幕府の繁栄を祈祷している神社であるので、三善善信を通して、将軍源頼家の裁定を仰いだ。

 1200年(正治2年)5月28日、頼家は、問題となっている土地の絵図の中央に線をひき、

 「土地が広いか狭いかは運次第だ。

 わざわざ使を出して現地を調査するのは面倒である。

 以後の境界争いはすべてこのように裁判する。

 不服があるならば訴訟など起こさぬことだ」

 という裁定を下した。 



〜頼家の乱行か?〜

 この『吾妻鏡』の記事からすると、頼家の裁定は乱行としか考えられないかもしれないが、近年の研究では、頼朝の死後に急増した土地関係訴訟に対して、頼家は頼朝時代に決定された土地関係を継続させるよう努めていたのだという。

 陸奥国の訴訟に関しても、実際は使者を派遣して調査していたのだという。





 この年の12月28日には、源頼朝以来の恩賞地について、その面積が一人につき五百町を超える分をとりあげて近臣たちに分け与えるよう大江広元に命じている。

 しかし、これは三善善信らの諫めによって取り下げたのだとか。


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