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嘉元の乱
連署北条時村の殺害

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 1305年(嘉元3年)、連署の北条時村が討たれた。

 討ったのは、五代執権北条時頼の孫で八代執権北条時宗の猶子となっていた北条宗方。

 九代執権北条貞時(乱当時は執権を退いていた)の命と称して葛西ヶ谷の北条時村邸を襲って時村らを殺害した。

 宗方が従兄弟の師時が十代執権となったことに不満を持ち、執権の座を狙った反乱であるとする説もあるが、貞時が命を下したのかどうかについても含めて不明な点の多い事件。

 乱後、宗方は、従兄弟の北条宗宣らによって討たれている。

 討たれた北条時村は、七代執権を務めた北条政村の嫡男。

 十代執権北条師時のときに連署に就任していた。

 1284年(弘安7年)、八代執権北条時宗が死去したとき、当時六波羅探題の北方の任に就いていた時村は、鎌倉に向かおうとするが三河で追い返されたとも伝えられている。








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