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小 田 城 跡
〜八田知家が築いた城〜


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小田城跡


 小田城は、常陸国筑波郡小田邑(現在のつくば市小田)を本拠とした小田氏十五代の居城。

 小田氏の祖八田知家が1185年(文治元年)に築いたのだと伝えられている。

 南北朝期には、南朝の後醍醐天皇の側近北畠親房が拠って『神皇正統記』を起稿したことで知られている。

 戦国期には佐竹氏の手に落ち、 1602(慶長7年)、佐竹氏の秋田移封に伴って廃城になった。





小田城跡


小田城跡


小田城跡


小田城跡


 小田城跡は、1935年(昭和10年)に国の史跡に指定され、現在は「小田城跡歴史ひろば」として公開されいる。





宝篋山
宝篋山

 小田城跡の北東方向には、社会福祉事業に力を注ぎ医王如来と呼ばれた忍性が暮らしていたという三村山(宝篋山)がある。

 忍性は西大寺律宗の僧。

 1252年(建長4年)、本格的な布教活動のために関東へ赴いた忍性は、知家を祖とする小田氏の外護を受けて常陸国の三村山極楽寺の清冷院に入って布教活動を行った。

  約10年を常陸国で過ごした後、鎌倉へ進出した忍性は、1267年(文永4年)に鎌倉の極楽寺の開山に迎えられれている。

 2017年(平成29年)11月、宝篋山山頂には、生誕800年を記念して忍性像が建てられた。





伝 多気太郎義幹墓
リンクボタン多気義幹の五輪塔

 小田城跡の北方にある北条の地には、知家の策略により所領を没収された多気義幹のものと伝わる五輪塔がある。



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八田知家も13人のうちの一人!








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小田城跡

茨城県つくば市小田2377−1

つくばエクスプレス「つくば駅」から、つくバス小田シャトルで「小田東」又は「小田中」下車。



小田城跡
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