鎌倉手帳(寺社散策)

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源頼朝の千羽鶴の放生会と
桟敷の尼
~鶴岡八幡宮例大祭~

編集:yoritomo-japan.com








浮絵 源頼朝公 鎌倉鶴ケ岡ニテ鶴を放ツ図
浮絵 源頼朝公
鎌倉鶴ケ岡ニテ鶴を放ツ図



 1187年(文治3年)8月15日、源頼朝鶴岡八幡宮で放生会を執り行います。

 これが現在の例大祭の始まりなのだといわれています。

 「放生会」とは、仏教の殺生を禁じる思想に基づくもので、魚や鳥などを山野に放ち、善根(よい報いを招くもととなる行為)を施すという儀式です。

 毎年8月15日に行われていた鶴岡八幡宮の放生会では、源平池(放生池)に鯉などを放ち、善業を積むという意味合いが込められていたといいます。

 源頼朝自らが由比ヶ浜に赴き、千羽鶴を放生したともいわれています。

 上の絵は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師・月岡芳年の作品(東京都立図書館HPより)。



大日本名将鑑 右大将源頼朝
大日本名将鑑 右大将源頼朝


 この絵は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師・月岡芳年の作品(東京都立図書館HPより)。





~頼朝の観覧席を管理した桟敷の尼~

 源頼朝が「千羽鶴の放生会」を観覧するための「桟敷」(さじき・展望台)は、常栄寺の裏山に設けられたのだといいます。

 そして、頼朝の旧跡を管理していたのが桟敷の尼。

 1271年(文永8年)9月12日、尼は、裸馬に乗せられて龍ノ口刑場へと護送される日蓮に「胡麻のぼたもち」を捧げたところ、奇跡的に処刑を免れたのだと伝えられています。

 参考までに、桟敷の尼が生まれたのは、源頼朝鶴岡八幡宮の放生会を始めた1187年(文治3年)なのだといいます。



常栄寺
リンクボタン常栄寺

 常栄寺は、桟敷の尼の伝説から「ぼたもち寺」と呼ばれています。



ぼたもち供養:龍口寺


ぼたもち供養:常栄寺









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