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一条天皇には飼い猫がいた。 名は、「命婦の御許」(みょうぶのおとど)。 999年(長保元年)、一条天皇は内裏で猫の産養の儀式を執り行ったのだという。 産養(うぶやしない)とは、小児の誕生の日から、3・5・7・9日を経過したことを祝うもの。 そして、猫の乳母に「馬の命婦」(うまのみょうぶ)と呼ばれる官女が任命されている。 |
※ | 「命婦」は五位以上の女官のこと。 |
※ | 「御許」は高貴な女性の敬称。 |
清少納言の『枕草子』 (上にさぶらふ御猫は)によると・・・ 宮中にお仕えする猫は、五位に除せられて、命婦のおとどという。 とてもかわいいいので、一条天皇も大切になさっている。 その猫が縁側で寝ていたので、乳母(世話役)の馬の命婦が、 「あぁ、みっともない。部屋に入りなさい」 と呼ぶのだが、 日当たり良好の場所に移ってしまい、部屋には入ろうとしない。 そこで、驚かそうとして、犬の翁丸(おきなまろ)に 「命婦のおとどに噛みつけ」 と命じると、愚か者の翁丸は本当に走りかかってしまう。 怯えた命婦のおとどは、御簾の中に逃げ込む・・・ 朝餉の間(あさがれいのま)にいた一条天皇は、驚いて命婦のおとどを懐に入れて、男どもを呼んだ。 蔵人の源忠隆と「なりなか」が参上すると、 「翁丸を打ちすえ、今すぐに犬島に流刑とするように」 と言いつけ、 「心配なので乳母も交替させよう」 と言い出した。 このため馬の命婦は恐れて御前に出ることもできず、翁丸も追い出されてしまった。 |
※ | 「犬島」は、淀川の中洲にあった島で犬の流刑地らしい。 |
ひどく打ち叩かれた翁丸は、翌日、清少納言が発見。 皇后・藤原定子のもとに保護され、後に一条天皇は翁丸を許したのだという。 |
平等寺の因幡薬師は、一条天皇が信仰した寺。 六猫守りが人気! |
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