鎌倉手帳(寺社散策)

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浅草寺:雷門
(風雷神門)


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浅草寺雷門(風雷神門)


 浅草寺の総門は、風神像と雷神像を安置する「風雷神門」。

 一般的には「雷門」と呼ばれて親しまれている。

 942年(天慶5年)、平公雅(たいらのきんまさ)によって駒形付近に創建されたのがはじまりで、鎌倉時代になって現在地に移された。

 移転の際に風神と雷神が安置されたのだという。

 創建以来、焼失と再建を繰り返した雷門。

 1865年(慶応元年)、田原町大火で焼失した後、長らく仮設の門だったが、1960年(昭和35年)、松下電器創始者の松下幸之助氏の寄進により再建された。

 関節痛を患っていた松下氏は、浅草寺第24世貫首・清水谷恭順が本尊に祈願して快復したことから、その御礼に寄進したのだという。



〜浅草寺の護法善神〜

浅草寺雷神像
雷神像
浅草寺風神像
風神像

 風神像と雷神像は、1865年(慶応元年)の火災で頭部のみとなったが、1874年(明治7年)に身体部分が補刻され、1960年(昭和35年)の再建時には、常盤堂雷おこし本舗社長の穂刈恒一氏の懇意によって補修・彩色が施されたのだという。


浅草寺天龍像
天龍像
浅草寺金龍像
金龍像

 天龍像と金龍像は、水を司る龍神。

 1978年(昭和53年)、松下グループ有志によって寄進された。





浅草寺雷門提灯 浅草寺雷門提灯

 門内の提灯は、松下電器産業(現パナソニック)寄贈のもの。

 三社祭の時と台風到来の時だけ畳まれる。





〜浅草寺を再建した平公雅〜

 平公雅(たいらのきんまさ)は、上総介として下向して武家平氏の祖となった高望王の孫(高望王流桓武平氏)。

 942年(天慶5年)、出世を願って浅草寺に参籠した公雅は、武蔵国守となれたことの礼として、平将門の乱で荒廃していた伽藍を再建。

 本堂・宝塔・鐘楼・総門・楼門・経蔵・法華常行堂・五重塔が建立され、浅草寺は比類なき霊場となったのだという。









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浅草寺
リンクボタン浅草寺

 浅草寺は観音霊場として栄え、坂東三十三箇所の十三番札所となっている。
 観音信者だったという源頼朝も信仰し、平氏討滅祈願を行ったという。


東京都台東区浅草2丁目3番1号

東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線・東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)「浅草駅」より徒歩5分








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