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養老寺は、717年(養老元年)、役行者(えんのぎょうじゃ)によって創建されたという真言宗智山派の寺院。 境内奥の石窟には役行者の像が祀られている。 正式名称は、妙法山観音寺。 本尊は十一面観音(安房国札三十四観音の三十番札所)。 江戸時代までは隣接する洲崎神社の別当寺だった。 1180年(治承4年)、石橋山の戦いに敗れ、真鶴から安房国に上陸した源頼朝の伝説が残されている。 |
観音堂前の「すすき」は、源頼朝が箸の代わりに使った「すすき」が根付いたものと伝えられている。 1180年(治承4年)、洲崎神社を参拝した頼朝は、昼食で使った箸(すすき)を「わが武運が強ければここに根付けよ」といって地に挿したのだという。 |
役行者(えんのぎょうじゃ)の石像が祀られている。 役行者は修験道の祖といわれ、717年(養老元年)、大地変によって境内の鐘ヶ池が埋まり、鐘を守っていた大蛇が災いを起こしたとき、祈祷で大蛇を退治したのだと伝えられている。 また、空中歩行などの神通力で知られ、足の神として信仰されることから岩窟には多くの履物が奉納されている。 『南総里見八犬伝』の中で、里見義実の娘伏姫が「仁義礼智忠信孝悌」の文字が浮かぶ仁義八行の数珠を与えられたことで知られる岩窟。 |
役行者の霊力で湧いたという水。旱天(かんてん)にも涸れることがないという。 |
安房国に渡った源頼朝は体勢を立て直し、千葉常胤、上総広常などの武将を従えて10月2日に武蔵国へ入り、10月6日には相模国へ入った。 |
千葉県館山市洲崎1331 JR内房線「館山」駅からJRバス「洲の崎神社」下車 |
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