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開山は啓運日澄。 啓運寺(日蓮宗)の名はここからくる。 日澄死後は無住で長勝寺の住職が兼務していた。 啓運日澄は、妙法寺の住職だった人で、法華経の研究書「啓運抄」を書いた学僧でもある。 啓運寺には、江戸期に作られたという日蓮上人読経像のほか、漁師からの信仰を集めた舟守稲荷が祀られている。 日本近代洋画を確立した黒田清輝が、本堂をアトリエとしていたこと時期もあり、明治時代には、小学校の校舎としても利用されていた。 |
開山 | 啓運日澄 |
本尊 | 三宝祖師 |
啓運寺をアトリエとして「鎌倉にて」、「雲」を製作。 『黒田清輝日記』には、材木座の海岸で陶磁器片を集めたことなどが書かれている。 鎌倉同人会の結成に尽力した。 左の写真は、啓運寺の近くにある銭湯「清水湯」。 ここに「黒田清輝邸」があったのだという。 |
徳川光圀が編纂させた『新編鎌倉志』には、妙法寺と啓運寺の寺号交換説が書かれている。 もとは、「啓運寺が妙法寺といい、妙法寺を啓運寺といった」ということであるが、本当なのだろうか。 |
啓運寺の近くには、「水道路」という交差点がある。 水道路は、横須賀の海軍のために水道を通すために、鉄管が敷設された路のこと。 名越方面へ進めば啓運寺を管理していた長勝寺がある。 |
鎌倉市材木座3−1−20 鎌倉駅東口より徒歩20分 |
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