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鴫立庵は、1664年(寛文4年)に小田原の崇雪という人物が草庵を結んだのが始まり。 日本三大俳諧道場の一つとされている。 名称は西行の歌による。 |
観音菩薩は、中国の革命家・孫文の持仏で、二千年を経た化石仏なのだという。 |
『新古今和歌集』にも載せられている西行の「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」という歌は、大磯の鴫立沢という所で詠まれのだと伝えられる。 |
現在の鴫立沢の地名は、西行を記念するために後人が歌にふさわしい場所を選んで付けたもので、西行が詠んだ鴫立沢がこの辺りだったのかどうかは不明。
庵内の円位堂には、西行法師の坐像が安置されている。 |
虎御前は、仇討ちで知られる曽我兄弟の兄十郎祐成の妾。 『吾妻鏡』にも「虎」という名で登場している。 案内の法虎堂には、江戸吉原から寄進されたものと伝えられる有髪僧体の虎御前19歳の木像が安置ている。 |
大磯の延台寺は虎御前が曽我兄弟を供養するために建てた草庵が始まり。 |
1880年(明治13年)、渋沢栄一は、旧友で十一代庵主だった大沢寿道のために鴫立庵の再建に尽力。 大沢寿道は武蔵国大里郡明戸村(現在の深谷市明戸)の出身。 渋沢栄一は武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の深谷市血洗島)の出身。 渋沢栄一は、大磯海水浴場の発展にも手を貸し、海水浴客の診療・宿泊施設「祷龍館」の館員となり、その設立資金を提供しているのだという。 |
神奈川県中郡大磯町大磯1289 JR東海道線「大磯駅」から徒歩10分 |
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