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藤原範茂(ふじわらののりもち)は、後鳥羽上皇に仕えた公卿。 父は、平治の乱で平清盛に敗れ、尾張国野間で最期を遂げた源義朝の六男・範頼を引き取って養育したという藤原範季。 1221年(承久3年)に後鳥羽上皇が起こした承久の乱では「合戦張本公卿」とされた者のうちの一人。 『吾妻鏡』によると、 承久の乱での敗北後、範茂は北条朝時に預けられ、7月18日、鎌倉へ護送される途中の足柄山の麓で早川に沈められた。 これは、本人が望んだことで、首を斬られて胴が離れてしまった者は極楽に行けないという考えによるものなのだとか。 『承久記』によると、 石を集めて堤を築いて水をせき止め、出家した後、 「思いきや 苔の下水 せきとめて 月ならぬ身のやどるべきとは」 と詠んで入水したのだという。 範茂史跡公園の宝篋印塔は、範茂の墓と伝えられている。 合戦張本の公卿 |
藍沢五卿神社は、駿河国藍沢原で処刑された葉室宗行(藤原宗行)を祀るために創建された社。 宗行は、範茂とともに「合戦張本」とされた公卿五人の一人。 のちに、他の四人(葉室光親・源有雅・藤原範茂・一条信能)も合祀されている。 |
神奈川県南足柄市怒田125−1 伊豆箱根鉄道大雄山線「大雄山駅」から箱根登山バス「新松田」行で「足柄高校前」下車、徒歩約10分 |
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