|
晩年、各地を転々とした鴨長明が「栖」(すみか)として仕上げたのが河合神社にある方丈。 移動に便利な組立式で、広さが一丈(約三メ−トル)四方であることから「方丈」の名がある。 長明はこの方丈から世間を観察し、世の無常と人生のはかなさを『方丈記』に著した。 |
鴨長明は、鎌倉時代前期の歌人、随筆家。 1155年(久寿2年)、賀茂御祖神社(下鴨神社)の禰宜だった鴨長継の次男として誕生。 1204年(元久元年)、後鳥羽院から河合神社の禰宜に推挙されるが、賀茂御祖神社禰宜の鴨祐兼の反対で望みは叶わず出家。 その後は、東山、大原、日野で隠遁生活を送った。 1205年(元久2年)、『新古今和歌集』に「石川や 瀬見の小川の清ければ 月も流れを たずねてやすむ」 をはじめとする十首が選ばれている。 1211年(建暦元年)には、飛鳥井雅経の推挙により、鎌倉幕府三代将軍源実朝の和歌の師として鎌倉へ下向。 源頼朝の法華堂(源頼朝墓)を参拝し た長明は「草も木も なびきし秋の霜消えて 空しき苔を はらう山風」 と詠んだといわれている。 京に帰った後の1212年(建暦2年)に成立した『方丈記』は、日本三大随筆の一つ(他は『枕草子』と『徒然草』)。 1216年(建保4年)、62歳で没した。 |
※ | 長明の鎌倉下向は、『方丈記』が成立した1212年(建暦2年)とする説がある。 |
源実朝の「君が代も我が代も尽きじ石川や瀬見の小川の絶えじとおもへば」は、 鴨長明の「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れも尋ねてぞすむ」を本歌とした歌。 源実朝と鴨長明 |
河合神社は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の摂社。 |
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社。 |
京都市左京区下鴨泉川町59 京阪「出町柳駅」下車徒歩10分 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|