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1980年(昭和55年)、大坂城の三の丸の跡地から大坂の陣で淀殿らと自害した豊臣秀頼の首と思われる頭蓋骨が発掘された。 そして、1983年(昭和58年)に秀頼が再興した清凉寺に埋葬されたのだという。 |
大坂城は秀吉が築いたことに始まるが、秀吉が築いた遺構は埋没してしまい、現在見ることのできる遺構は徳川時代のもの。 |
大坂夏の陣で豊臣秀頼は自刃したが、秀頼の正室だった千姫(家康の孫)は家康の命により救出された。 |
秀頼の娘で側室が産んだ奈阿姫は、千姫が養女とすることで救われ、鎌倉の東慶寺に入り、天秀尼と号して東慶寺二十世となっている。 天秀尼は、1645年(正保2年)死去(37歳)。 天秀尼の死によって豊臣秀吉の直系は断絶した。 |
清凉寺は、東大寺の「然(ちょうねん)が中国の宋より持ち帰った釈迦如来(国宝)を本尊とする(三国伝来の釈迦如来)。 全国にこの像の模刻が広まり、清凉寺式釈迦如来として鎌倉の極楽寺や横浜の称名寺にも伝えられ、東京目黒の大円寺の清凉寺式釈迦如来は最古と言われる。 |
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 ・JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」より徒歩15分 ・京福電鉄「嵐山駅」より徒歩10分 ・市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩2分 |
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