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義経堂は、遮那王尊(源義経)を祀る堂。 奥州平泉の衣川館で最期を遂げた源義経の魂は、幼少時代を過ごした鞍馬山へ戻り、遮那王尊として護法魔王尊の破邪顕正の働きを助けているのだという。 |
『義経記』によると・・・ 1189年(文治5年)閏4月30日、義経は、平安時代の刀工・三条宗近が作った刀で自刃したのだという。 その刀は、六寸五分(約20cm)。 宗近が鞍馬寺に奉納したもので、それを別当の東光坊が譲り受けて「今剣」(いまのつるぎ)と名付けられ、のちに義経に守り刀として与えられた。 その刀を大切にしていた義経は、源平の合戦のときにも鎧の下に身に着けていたのだという。 藤原泰衡に衣川館を攻められた義経は、この今剣で左の胸から刀をたて、背中に通ずるまで掻き切り、疵口を三方に切り破って、内臓を引き出し、刀を衣の袖で拭ったのだとか・・・ |
衣川館は、兄源頼朝と対立し、奥州平泉の藤原秀衡を頼った源義経に与えられた館。 秀衡の死後、跡を継いだ泰衡に襲撃された義経は、この場所で妻子とともに最期を遂げた。 |
鞍馬寺は、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)が毘沙門天を祀ったことに始まる。 幼少期に鞍馬寺に預けられ、奥州平泉の衣川館で最期を遂げた源義経の魂は、鞍馬寺に帰ったとされ、遮那王尊として祀られている。 |
京都市左京区鞍馬本町1074 叡山電車「鞍馬駅」下車徒歩5分 |
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