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花山稲荷神社(はなやまいなりじんじゃ)は、903年(延喜3年)、醍醐天皇の勅命により創建されたと伝わる社。 古くは西山稲荷と呼ばれたが、花山天皇が崇敬したことから「花山」となったとも、当地の旧名「花山」によるものともいわれる。 988年(永延2年)には一条天皇が社殿を再建。 境内の「稲荷塚」は、一条天皇の時代の刀工・三条宗近が名刀「小狐丸」を鍛えたところ伝えられている。 1174年(承安4年)には、伏見稲荷に参詣した平重盛(平清盛の嫡男が夢告により参詣し、荒れていた社殿を復興させたのだという。 江戸時代の元禄年間には、山科に隠棲していた大石内蔵助と大石良雄も参詣し、大願成就を祈願したといわれている。 |
宇迦之御魂大神 神大市比売大神 大土之御祖大神 |
勧修寺は、醍醐天皇が母・藤原胤子の菩提を弔うために建てた寺。 外祖父の宮道弥益の邸跡に建てられた。 醍醐天皇は、弥益邸に行幸する途上で、宇迦之御魂に花山の地に祀るよう告げられたのだという。 醍醐天皇の母・胤子は、藤原高藤と宮道列子の娘。 『源氏物語』を書いた紫式部は、高藤と列子の子孫。 光源氏と明石の君の恋の話は、高藤と列子の恋の話がモデルであるとされる。 |
宮道列子の墓は、勧修寺と花山稲荷神社の中間地点に建てられている。 藤原高藤の墓は、勧修寺下ノ茶屋町の鍋岡山にあるらしい。 |
京都市山科区西野山欠ノ上町65 |
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