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花應院は、小栗判官と照手姫の伝説が残された寺。 「小栗判官照手姫縁起絵巻」と「地獄変相十王図」が伝来し、1月と8月の16日の閻魔祭で開帳されている。 花應院は、曹洞宗の寺で、慶長年間(1596年〜1615年)の創建と伝えられている。 |
小栗判官とは、常陸国の小栗満重。 満重は、鎌倉公方の足利持氏に対して反乱を起こして敗れ、10騎の従者とともに三河国へと逃れようとした。 途中、相模国の横山大膳の家に宿をとったが、大膳は盗賊だった。 大膳の家には、照手姫という遊女がいて満重と恋仲になる。 これに怒った大膳は、人を喰らうという「鬼鹿毛」という馬に満重を乗せて殺害しようとするが失敗。 しかし、今度は満重主従に毒酒をすすめて殺害した。 そして、満重の財宝を奪い、満重主従11人の死体を上野原に捨てたという。 このことを閻魔大王の夢のお告げで知った遊行上人が上野原へ行ってみると、11人の死体があった。 しかし、満重はまだ息があったので、熊野本宮へ送り、湯に入れさせてもとの体に戻したのだという。 全快した満重は、横山大膳を処刑し、美濃国青墓で遊女となっていた照手姫を捜し出して結婚。 満重の死後、照手姫の建てた草庵が遊行寺塔頭の長生院だと伝えられている。 |
花應院がある俣野の地は、源頼朝の挙兵に敵対した俣野景久が領した地。 遊行寺の開基の俣野五郎景平と開山の呑海は、景久の末裔といわれる。 |
花應院の北には、かつて閻魔堂があった。 しかし、1840年(天保11年)に火災に遭い、本尊として祀られていた木造閻魔大王坐像は、花應院に運び込まれた。 それが現存する木造彩色の閻魔大王坐像だという。 そして、その胎内仏であったという安山岩製の石造閻魔大王坐像は、藤沢市の重要文化財に指定され、室町後期から桃山期の造立と考えられている。 説教節「小栗判官」では、西俣野には小栗塚があって、小栗が蘇ったという場面が描かれている。 小栗をこの世に蘇らせたのが花應院に安置されている閻魔大王像だったという。 |
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