城長茂、無作法で御家人推薦取消し! |
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城長茂(じょうながもち)は、越後国の武将。 鎮守府将軍平維茂の子繁成の七代目の子孫。 平家に属して源頼朝に反逆したことから、捕えられて梶原景時に預けられていたが、熊野の僧・定任に「御家人に列してやって欲しい」と頼まれ、頼朝はそれを承諾したのだが・・・ |
※ | 定任は、頼朝の持仏大将王尊と御願書を預かっている僧で、長茂の仏教の師でもあったのだという。 |
『吾妻鏡』によると・・・ 1188年(文治4年)9月14日、定任は、熊野から鎌倉へやってきて頼朝の御所を訪問。 頼朝は、定任を御簾の中に呼び、世間話をはじめた。 そこへ、背丈が七尺(約210cm)もある城長茂が入ってきた。 しかし・・・ 南側に畠山重忠、北側に梶原景時を筆頭とする御家人が控える中を進んだ長茂は、御簾に背を向けて座ってしまう。 梶原景時が、 「そこは頼朝様が着座する間」 と注意すると、 長茂は、 「知らなかった」 と言って立ち上がり、退出してしまった。 頼朝は何も言わなかったが、定任は長茂の御家人推薦を取り消したのだとか・・・ |
この時、御家人になれなかった長茂は、翌年の奥州征伐の際に、梶原景時の計らいで御家人に列している。 |
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