|
『吾妻鏡』・『北条九代記』によると、1203年(建仁3年)5月26日、源頼家は伊豆国で巻狩りを催すため鎌倉を出発。 6月1日には伊豆国の狩場に到着し、6月3日には駿河国に場所を移した。 そこで頼家が見たものは山麓の大きな穴。 頼家は重宝の剣を仁田忠常に与えて探索させた。 部下を従え穴に入った忠常はその日は帰らず、翌日になって帰ってきた 忠常の報告によると・・・ 「この洞穴は一人がやっと通れる程の幅しかなく、 あともどりすることができません。 その暗さといったらいいようがありません。 主従各々が松明を灯し進んで行きました。 地面には水が流れていて足が濡れました。 数え切れないほどの蝙蝠が飛び交い、われらの行く手を阻みました。 我々がよく目にする黒い蝙蝠もいますが、白い蝙蝠も多くいました。 川の流れに従って進みますと、小さな蛇がひっきりなしに足にまとわりついてきました。 これを切り流しながら進みますと、血なまぐさい匂いに嘔吐したくなることもあり、また、芳しい薫りに気分が晴れることもありました。 奥はだんだんと広くなり、天井には氷柱(つらら)のようなものがびっしりとありました。 部下の者がいうには、『鍾乳という石で出来たもので、仙人が不老長寿の薬とする』ということです。 さらに進んで行きますと、足の下で急に雷のとどろく音がして、千人ほどがいっせいに『鬨の声をあげた』かに思われるほどでした。 おそらくこれは、阿修羅の住む隠れ家の音かと・・・ さらに進んで行きますと、少し広い場所に出ました。 四方は真っ暗で、ときどき人の泣く声が聞こえます。 まるで冥土の旅路を辿るような感じでした。 さらに進むと、大きな川にさしかかりました。 その流れの速さは矢のように速く、その冷たさは氷よりも冷たいという感じです。 その川の向こうに光が見えました。 火が燃えている光とはあきらかに違います。 光の中には、不思議な姿をした御姿がお立ちになっています。 部下4名がそのまま気絶して死んでしまいました。 その御霊を礼拝しますと、かすかな声でお導きがあり、頂戴いたしました御剣を川に投げ入れましたところ、その御姿はお隠れになって、かろうじて帰還することができました」 この報告を聞いた頼家は、 「人穴の奥は天地以外の世界なのであろう。 もう一度、渡し船を造らせ、人員を増やして探索すべきである」 と語ったのだという。 この頼家の人穴探索の話を聞いた古老は・・・ 「この穴は浅間大菩薩のお住まいである。昔から中を見てはいけないと伝えられてきた。 今、将軍は、このようにその禁をお破りになった。将軍家の御命運にとって咎(とが)がないはずがない。おそろしや」 とささやいたのだとか。 |
浅間大菩薩に祟られた?〜源頼家・仁田忠常〜 |
源頼家が仁田忠常に探索させたのは、富士の人穴だったのだという。 |
|